大相撲の元幕内・潮丸の東関親方が、血管肉腫のため2019年12月13日の夜に死去されました。41歳という若さでした。2018年末から体調不良のため休場が続いていました。
そこで、ご冥福をお祈りする意味も込めて、今回はプロフィール・来歴・略歴・エピソード・主な成績をまとめさせていただきました。
プロフィール
潮丸 元康(うしおまる もとやす、 1978年5月11日 – 2019年12月13日)さんは、静岡市葵区出身で東関部屋所属の元大相撲力士です。
本名は佐野 元泰(さの もとやす)、愛称は「ウッシー」。
現役時は身長176cm、体重169kg。最高位は西前頭10枚目(2002年11月場所)。生前は年寄・東関として、東関部屋の師匠を務めていました。
現役時代は童顔と相撲人形のような体つきでファンの人気を集めました。
その丸々としたあんこ型の体型を生かした突き押し相撲を得意としたほか、差し身が良く、もろ差しや右差しの体勢からの寄りを見せる事も多かったです。
明るい性格でカラオケが趣味。血液型はB型。
来歴
一人っ子として生まれ、小学生時代にはソフトボールを経験しました。
中学では野球部に所属し、一塁手と4番打者を務め、生徒会長も務めたそうです。
身体が大きかったため、特注のユニフォームを製造する会社の社長の紹介により、東関親方(元関脇・高見山)からスカウトされました。
相撲は未経験だったものの、母親を楽にしてあげたいとの気持ちから入門する決意を固めたそうです。
中学卒業後に東関部屋に入門し、1994年3月場所において初土俵を踏みました。
2002年1月場所で新十両へ昇進し、その1月場所では11勝4敗の好成績を挙げました。同年7月場所では13勝2敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たし、翌9月場所には新入幕を果たしました。
新入幕の場所こそ勝ち越したものの、その後は左膝・左脚の怪我に悩まされて幕内と十両の往復に終始しました。
2005年には幕下に2度陥落したのですが、いずれもすぐに十両に復帰しています。
2007年のハワイ巡業の際に、ハワイの地元紙「ホノルルアドバタイザー」にて、師匠の東関親方から東関親方の後継者に指名されていました。同年の5月には結婚しています。
師匠である東関親方の定年退職を目前に控えた2009年5月場所を6勝9敗の成績で終えた後、同場所の千秋楽である同年5月24日に引退を表明し、北の湖が所有する名跡を借りて年寄・小野川を襲名しました。
同年6月16日に東関親方が定年退職したことに伴い、年寄・東関に名跡変更し、師匠である12代東関と同じ「東関大五郎」の年寄名を名乗り、13代東関を襲名して東関部屋を継承しました。
2010年1月31日には「潮丸引退東関襲名披露大相撲」(断髪式)が催されました。引退相撲では同部屋の現役力士である高見盛との割が組まれ、この「最後の一番」を勝利で飾りました。止め鋏は先代の東関親方が入れました。
2012年の役員改選と同時に行われた新たな職務分掌では、平年寄としては異例となる勝負審判に就任しました。
この役員改選前の地位は平年寄で、勝負審判は現役時代の最高位が前頭2枚目以上でかつ委員の親方が原則として務めることとなっていましたが、役員改選後も昇格はせずにそのまま平年寄に留め置かれました(2013年2月に主任へ昇格)。
2012年12月25日に胸椎後縦靱帯骨化症で入院して手術を受けました。
手術を前に、病気が判明した後の2012年11月場所より審判の職務を休んでおり、代わりに一門の千田川親方(元小結・闘牙)が代理を務めています。
手術後も1か月近く入院していましたが、2013年1月場所中に退院し、同場所千秋楽に現役を引退した高見盛の引退記者会見にも同席しました。
同年の春巡業において職務へ復帰している。
師匠としては、弟子たちに毎日ノートを提出させて、その日の相撲や稽古の反省、その他思うことを報告させることで弟子との密なコミュニケーションを図っています。
また、支持者のふりをして近づく反社会的勢力を排除するため、金銭の発生する会合に弟子が出るときは必ず報告を義務付けています。
晩年は2018年末から体調不良のため、本場所を休場していたが、2019年12月13日21時52分、血管肉腫のため、東京都葛飾区の自宅(東関部屋)で死去。41歳没。
略歴
- 1994年3月場所‐初土俵
- 2002年1月場所‐新十両
- 2002年7月場所‐十両優勝
- 2002年9月場所‐新入幕、勝ち越し
- 2002年11月場所‐自己最高位前頭10枚目に昇進したが、しかし途中休場となって十両に陥落。
- 2003年7月場所‐再入幕(2)
- 2004年1月場所‐再入幕(3)
- 2005年5月場所‐この年2回目の幕下での土俵であったが、全勝で幕下優勝。
- 2006年3月場所‐再入幕(4)
- 2006年11月場所‐再入幕(5)
- 2007年1月場所‐新入幕の場所以来26場所ぶりの幕内での勝ち越し。
- 2009年5月場所‐引退
エピソード
- 現役時代の四股名であった潮丸は福島県白河市の後援会が命名しました。一時期四股名を「天福」としていた時期もありましたが、「転覆」に通じるので「潮丸」に改名したといいます。
- 阿武松部屋の片山とともに静岡県出身の関取として、日刊スポーツ新聞社の静岡版記事では並んで取り上げられる事が多かったです。なお、両者の対戦は相撲界の静岡ダービーと紹介される事もありました。
- 2007年1月7日に放映された関西テレビ『発掘!あるある大事典II』で、納豆にダイエット効果があるという話を聞いて、同年1月場所中に納豆40パックを食べたが、千秋楽近くになって番組内容が捏造だったことを知り、「金返してほしいぐらいです。ま、2000円くらいですけどね」と立腹したそうです。(ちなみにこの1月場所では、26場所ぶりに幕内で勝ち越しました)。なお、ダイエット効果よりも代謝が良くなったり血液中の有害物質を壊す効果を期待していたそうです。体重は変わらなかったといいます。
- 『相撲』2013年6月号増刊 『大相撲 愛された男 高見盛伝説』では弟弟子であり先代から引き継いだ弟子でもあった高見盛の取り口について証言していて、概して「学生時代までは鉄砲柱で作り上げた右肩のコブでカチ上げる相撲を得意としていたが、入門直後に兄弟子から修正を求められてしまい、これが影響して大相撲では大成しなかった。」と主張しています。
主な成績
- 通算成績:482勝448敗51休 勝率.518
- 幕内成績:68勝92敗20休 勝率.425
- 現役在位:92場所
- 幕内在位:12場所
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