皆さんは、プロサッカー選手・栗原勇蔵さんをご存じでしょうか?
栗原勇蔵さんは、サッカー元日本代表のDFです。
その栗原さんが2019シーズン限りで引退することが分かりました。
そこで栗原さんのプロフィールや来歴やエピソードを調べましたので紹介します。
プロフィール
栗原 勇蔵(くりはら ゆうぞう、1983年9月18日 – )さんは、神奈川県横浜市瀬谷区出身で横浜F・マリノス所属のプロサッカー選手。
ポジションはディフェンダー。
主にストッパー(右センターバック)としてプレー。
元日本代表。
来歴
2002年に横浜F・マリノスに加入。
2005年までは日本代表の松田直樹さんや中澤佑二さんを擁する横浜FMの厚いディフェンス陣の選手層により控えに甘んじていたのですが、2006年は開幕戦からCB(センターバック)として出場するなど、レギュラーとして出場する機会が多くなります。
シーズン終盤からは層の薄かった右SB(サイドバック)としても起用されるようになりました。
CBで起用されているのには栗原さん自身の成長もあるが、同じくDFでしばしば攻撃参加もする松田直樹さんが攻め上がったときに守備のバランスが崩れ失点するのを防ぐためでもあります。
松田さん本人に「若い頃の自分に似ている」等と言われるほどのメンタル面や実力を当時から持っていて「第二の松田直樹」とも呼ばれていました。
2006年8月、オシム監督になっての日本代表でトリニダード・トバゴ戦に向け追加招集され、後半に負傷した坪井慶介さんに替わり出場。代表デビューを飾りました。
しばらく日本代表に招集されませんでしたが、2010年4月セルビア戦で再度招集されました。
2008年シーズンには過去にサイドバックを務めていた経験もあり、試合中のチームのフォーメーションを変化に伴ってサイドバックとして右サイドを駆け上がることも多かったです。
2012年6月8日、2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選の対ヨルダン戦で代表初ゴールを記録しました。
同月12日の対オーストラリア戦でも2試合連続ゴールを決めました。
2013年シーズンは、リーグ戦2位と天皇杯優勝に貢献しました。
2016年6月11日の川崎フロンターレ戦にてJ1リーグ通算300試合出場を達成。
2019年12月2日、2019シーズン限りで現役を引退することを発表しました。
人物・エピソード
ユース時代、ゲームセンターで遊んでいるときにボクシングジムの関係者にスカウトされたことがあります。
気性が強く、ユースからトップチームの若手時代にいたるまで「街で売られた喧嘩は全て買っていた」といいます。
このことについて天野貴史さんが「全体練習の後、決闘に出かけた」と証言しています。
2011年6月26日、モンテディオ山形戦でマリノスのJリーグ通算1000ゴール目となるメモリアルゴールを決めました。
2013年9月29日、一般女性と入籍しました。
松田直樹さんに気合を入れてくれと言われ殴り失神させた事があります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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